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motoGPの歴史
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1983年、K.ロバーツとの激闘の末にチャンピオンに輝いたF.スペンサー。この年の両者の戦いは、後世まで語り継がれ伝説となった (C)Honda Motor Co., Ltd.
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1995年におけるM.ドゥーハンのライディング。M.ドゥーハンは向かうところ敵なしの圧倒的な強さで、500ccクラス5連覇達成 (C)Honda Motor Co., Ltd.
MotoGPを彩る日本メーカーの活躍と
往年の名ライダー達

 1960年代、満を持してWGP(現MotoGP)に参戦したホンダを皮切りに、スズキ、ヤマハ、カワサキといった日本メーカーも次々とWGPへ挑戦していく。最高峰クラスではなかなか勝てなかったものの、500cc以下のクラスは日本メーカーが圧倒した。しかしルール改正の影響を大きく受けて優勝から遠ざかり、各日本メーカーは一旦の撤退を決意。数年後、1973年にヤマハ、1974年にスズキが500ccクラスで復活し、ヤマハとスズキが熾烈な争いを繰り広げていく。ヤマハは、後に「キング・ケニー」と呼ばれることになるライダー、ケニー・ロバーツをアメリカから呼び寄せスズキに対抗。K.ロバーツは参戦初年度の1978年から3連覇を達成する。しかし個人タイトルをK.ロバーツが獲っても、ワークスとしてはスズキに勝てないヤマハ。それほどスズキは強かった。

 1979年にはホンダも復活。ホンダはK.ロバーツと同じアメリカ人の、フレディ・スペンサーを起用する。1983年はK.ロバーツとF.スペンサー、2名の天才ライダーが死力を尽くして戦い続けたMotoGP(当時WGP)ファン伝説の年になった。すべての決着がついたのは最終戦。K.ロバーツは最終戦を制すが、年間タイトルは僅か2ポイントの差で若きF.スペンサーの手に渡る。両者共に6勝、ポイントはF.スペンサーが144、K.ロバーツは142とまさに接戦だった。K.ロバーツはこの年に引退を決意。キングとの激戦の末にタイトルを獲得したF.スペンサーだが、翌年からは不振が続き、ライバルのエディー・ローソン(ヤマハ)にタイトルを奪われ輝きを失っていく。複数メーカーを渡り歩き、4度のタイトルを手にすることとなるE.ローソンと、映画「汚れた英雄」でスタントを務めた日本人、平忠彦が80年代における日本のバイクブームを牽引していった。
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1993年、日本GP250ccクラスで優勝し、表彰台で笑顔を見せる原田哲也。この年250ccクラスのタイトルを獲得した原田は、その名をヨーロッパに知らしめた (C)ヤマハ発動機
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500ccクラスもジンクス通り、2年目の2001年に制したV.ロッシ。その後M.ドゥーハンと並ぶ最高峰クラス5連覇をやってのける (C)Honda Motor Co., Ltd.
1990年代前半、250ccクラスで日本人チャンピオン誕生

 E.ローソン、そしてホンダのワイン・ガードナーとによるタイトル争いが続き数年、そこにMotoGP史上初の永久欠番となった「34」をつけるケヴィン・シュワンツ(スズキ)、シュワンツのライバルで1990年から1992年まで3連覇を達成したウェイン・レイニー(ヤマハ)が登場する。3年連続タイトル制覇の記録は、K.ロバーツ以来のもの。長年ライバルに勝てなかったK.シュワンツは、1993年に念願のタイトルを手に入れる。しかしそれは、タイトル争いを演じていたライバルのW.レイニーが、シーズン中に事故で選手生命を絶たれ引退してのことだった。ライバルを失ったK.シュワンツはモチベーションも失い、彼もまた1995年に引退を決める。名ライダーが次々とサーキットを去り、マイケル・ドゥーハン(ホンダ)一人勝ちの時代が訪れる。M.ドゥーハンは他を圧倒し、1994年から1998年まで5年連続でチャンピオンの座に就く。

 M.ドゥーハンが500ccクラスを制覇していた頃、250ccクラスではマックス・ビアッジ、原田哲也、ローリス・カピロッシによる熱いバトルが展開されていた。原田は1993年にヤマハで250ccのタイトル制覇。しかしその後の250ccクラスはイタリアのメーカー・アプリリアが最強で、どうしてもM.ビアッジ(アプリリア)に勝てない原田は、「ビアッジに負けているんじゃない! アプリリアに勝てないだけだ!」との名言(?)を残し、1997年にアプリリアに移籍。M.ビアッジは代わってホンダに移籍するが、移籍先のホンダでもタイトルを獲り、自身の速さを証明してみせた。迎えた1998年、原田はチームメイトのR.カピロッシとタイトル争いを繰り広げる。最終戦の最終ラップ、R.カピロッシの前を原田が走行し、誰もが原田が優勝! と思ったその時、事件は起きた。最終コーナーでR.カピロッシがインから突っ込み、原田は弾かれて転倒。R.カピロッシがそのままチェッカーを受け、タイトルはR.カピロッシの手に渡った。誰の目にもR.カピロッシの体当たりは明らかだったが、R.カピロッシが王者になった結果は動かず、原田は激怒。翌年はチャンピオンのR.カピロッシがアプリリアを離れることとなった。イタリアのチームがチャンピオンのイタリア人ライダーを事実上「追放」したのだ。
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2001年の加藤大治郎。この年、250ccクラスで11勝してチャンピオンに。2003年、日本GPの事故で若くしてこの世を去ったが、その走りは見る者に多くの夢を与えた (C)Honda Motor Co., Ltd.
天才V.ロッシ登場、加藤大治郎の輝き

 M.ビアッジは1999年に最高峰クラスへ。同年、ヴァレンティーノ・ロッシが250ccクラスを制覇。翌年にはV.ロッシも500ccクラスへステップアップし、最高峰クラスでイタリア人ライダーの戦い、V.ロッシの快進撃が始まる。2000年は偉大な父と同名のケニー・ロバーツJr.がスズキでチャンピオンに輝く。2001年、デビュー以来常に各クラスを2年目に制していたV.ロッシは、500ccクラスも2年目に制覇。この年は鈴鹿8耐でも優勝。また2001年は、250ccクラスで加藤大治郎がチャンピオンになった年でもあった。加藤以来、どのクラスでも日本人のチャンピオンは誕生していない。

 2002年、それまでWGPとなっていた名称がMotoGPへと変わり、最高峰クラスも500ccクラスから、4ストロークエンジンを使用するMotoGPクラスに変更された。加藤はこの年、MotoGPクラスへ参戦。ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、8耐でも優勝した加藤に、日本人初の最高峰クラスチャンピオン誕生の期待が高まる。しかし2003年、悲劇が起きた。4月6日、母国日本で開催された開幕戦日本GPの3周目、タイヤバリアに衝突し意識不明の重体となる。4月20日、意識が戻らないまま26歳の若さでこの世を去った。加藤のつけていた「74」は永久欠番となる。第2戦、加藤のチームメイトであるセテ・ジベルナウが喪章と加藤の「74」を身につけてレースに臨み、優勝。表彰台で胸の「74」を握りしめ天を指差すS.ジベルナウの姿に世界中が感動した。この後、S.ジベルナウはM.ビアッジを押しのけV.ロッシとタイトル争いを演じていく。
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V.ロッシはヤマハ移籍後の初レースで勝利しただけではなく、移籍初年度にタイトルまで獲得する偉業を達成している (C)ヤマハ発動機
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逆境にもめげず、V.ロッシの6連覇を阻止しMotoGPクラスのタイトルを手にしたN.ヘイデン (C)Honda Motor Co., Ltd.
V.ロッシの移籍で復活するヤマハ、若きライダーの台頭

 しかしV.ロッシは強かった。V.ロッシは同国人のM.ビアッジとレースでもレースの外でもバトルを繰り広げたり、S.ジベルナウと争ったりしつつ、気づけばホンダで3連覇。マシンのおかげで勝てるというムードを払拭するため、2004年に、1992年のW.レイニー以来最高峰クラスのタイトルから遠ざかっていたヤマハへ電撃移籍。開幕戦、移籍後の初レースでいきなり優勝して世間の度肝を抜いた。V.ロッシはヤマハでも速く、移籍初年度の2004年、続く2005年とタイトルを獲得し、最高峰クラスで5連覇達成。シーズンが終わり、V.ロッシの因縁のライバルだったM.ビアッジがスーパーバイクへ転向する。

 2006年、M.ビアッジは去り、S.ジベルナウも一時期の輝きを失うなか、若手ライダーがV.ロッシに挑戦状を叩きつける。前半戦で足踏みするヤマハを他所に、スペイン人のダニ・ペドロサ、アメリカ人ニッキー・ヘイデンを擁するホンダがタイトル争いをリード。後半になって復活したV.ロッシも追撃し、V.ロッシとN.ヘイデンがチャンピオン候補となる。残り2戦となった第16戦ポルトガルGP、よりによってチームメイトのD.ペドロサがN.ヘイデンを撃墜。転倒に巻き込まれてリタイアしたN.ヘイデンは怒りのぶつけようがなく涙を隠せない。これで今年もV.ロッシかと思われたが、最終戦で今度はV.ロッシがひとりで転倒。まさかまさかの連続で、N.ヘイデンがチャンピオンとなった。

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他を寄せ付けない強さで2007年を制したドゥカティチームとC.ストーナー (C) Ducati Motor Holding S.p.A.
イタリアの名門、ドゥカティの台頭

 2007年は2連覇を狙うホンダ、ホンダ陣営に敗れタイトル奪還を目指すヤマハ、この2チームがタイトルを争うかと思われた。ところが、開幕戦を制したのはケイシー・ストーナーを擁するイタリアの名門、ドゥカティだった。ドゥカティ、C.ストーナー、ブリヂストンというパッケージの安定性と速さは他チームを圧倒。ヤマハのV.ロッシは必死に食らいつくが、ポイント差は広がる一方で、ついに第15戦日本GPにおいてC.ストーナーの初タイトルが決まる。日本の地で、33年ぶりに日本メーカー以外のマシンが最高峰クラスのタイトルを獲得した。また、ブリヂストンにとってはMotoGP参戦以来、初のタイトルだった。

 そして今シーズン、多くの移籍があり、250ccクラスからの注目新人も参戦とあって、2007年とは違う体制のチームが多い。雪辱を誓う日本メーカー、ブリヂストンとミシュランのタイヤ対決、ライダー同士の負けられない戦い、さらに開幕戦は史上初のナイトレースと、今年も見どころが満載だ。

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