ハートフルコメディの名手が綴る、笑って泣ける物語
『トラさん』で描かれた、時間や家族の尊さ
2022/07/04 公開
守りたい存在がある大人の心を揺さぶるドラマ
交通事故で命を落としてしまった漫画家が、「あの世」の関所を司る裁判長の裁きにより、期限つきで、言葉の通じない「猫」として、現世の妻子のもとに戻ってくる――。どことなく童話っぽいファンタジックな世界観を持つ映画『トラさん 僕が猫になったワケ』(2019年)。Kis-My-Ft2の北山宏光の映画初出演にして初主演の本作は、子どものための映画の祭典「27 thキネコ国際映画祭」にて、日本作品賞の長編映画部門を受賞している。
しかし、だからといって、子ども向けの作品なのかな?と考えるのは早合点。生と死をテーマにした物語は、むしろ守りたい存在がある大人の心を揺さぶるものになっている。全編にちりばめられたドタバタ&ほのぼの系ギャグと、家族愛と夫婦愛に満ちたまっすぐで温かいストーリーとの強力タッグで、泣き笑いせずにはいられない。
原作コミックは、2014年1月号から「月刊YOU」に連載された板羽皆の「トラさん」。単行本を2巻刊行し、ひとまず物語は終了したが、実写映画化決定を記念して、2018年4月号から同誌にて再び続編の連載をスタート。さらに、同誌休刊に伴い、2019年に「Cocohana」に移籍して3巻目を刊行し、完結した。映画で描かれるのは、2巻までの物語になる。
売れない漫画家・高畑寿々男(北山宏光)は、妻の奈津子(多部未華子)がパートで稼いだ生活費をギャンブルに使ってしまうクズ男。彼女の優しさに甘え、お気楽な生活を送っていた寿々男だが、ある日、交通事故であっけなく死んでしまう。あの世の関所で、裁判長(バカリズム)から下された判決は「執行猶予1ヵ月で、過去の愚かな人生を挽回せよ。ただし、猫の姿で」というもの。トラ猫の姿になって、奈津子と小学生の娘・実優(平澤宏々路)のもとに戻った寿々男は、トラさんと名づけられ、高畑家で飼われることになるのだが…。
これまでも「サムライカアサン」シリーズや「3センチメンタル」などの作品で、家族の絆を描いてきた板羽皆は、ハートフルなホームコメディを大の得意とする漫画家。ギャグ漫画なのに、奥が深く、胸に沁み込むようなセリフの数々に、ついつい泣かされてしまう。そんな板羽作品のファンの一人だった本作のプロデューサー、明石直弓が映画化のオファーをしたのは、なんと「トラさん」の連載1話目を読んですぐのことだったという。素敵な家族の話になるはず!との確信はまさに正しかったわけだが、当の板羽にとっては、ちょっぴりプレッシャーだったのではないだろうか。
映画と原作の相違点としては、まず、原作では「1年」だった執行猶予の期間を、「1ヵ月」にギュッと短縮。登場人物の数を絞ることで、寿々男、奈津子、実優の3人家族の物語に、より焦点を当てている。そして、原作にはなかったエピソードやシーン、セリフもたくさん加えて、映画ならではのドラマティックな盛り上がりを演出。彼らが家族として過ごしてきたこれまでの時間の尊さや、それぞれが胸に抱く家族への深い愛を感じさせてくれる。
実写映画化にあたって、注目すべきポイントは、原作では普通に動物として描かれていた猫のビジュアルを、あえてフェイクファーの衣装を身に着けた俳優が演じるという思いきった映像表現だ。客観的にはただの猫であることを説明するために、鏡に映ったり、スマホで撮影したりする時の姿だけは本物の猫になっている。
企画時点からこの映像表現ありきで、監督にオファーされたのは、『美女缶』(2003年)や『Sweet Rain 死神の精度』(2008年)などでファンタジー要素の強いストーリーを見事に映像化し、猫や犬をコスチュームで表現するドラマを手掛けた経験もある筧昌也。トラさん=寿々男役の北山が着用した猫の衣装は、監督のデザインを基に、細部までこだわって制作された。ハリウッド映画なら、きっとCGで絶妙にコントロールされたであろう猫の姿を、ミュージカルや舞台のように擬人化して表現する。これは観客の想像力を信じた手法であり、実際、はじめの頃はひたすらコミカルな印象が強かったトラさんの姿が、徐々に自然に感じられ、いつしかどっぷり感情移入するまでになっていく。CG全盛のいま、想像を膨らませながら観ることで、シンプルな表現の豊かさを再認識させてくれる作品だ。
猫として、奈津子や実優と過ごし、彼女たちの本当の気持ちを知ったトラさん(寿々男)は、あの世の関所の裁判官に会い、1日だけ人間に戻してほしいと懇願する。原作では終盤にあたるこの部分を、映画では全体の尺の実に3分の1のボリュームを使って、情感たっぷりに描き上げている点も大きな見どころである。
また、「マンガ」が原作以上に重要な役割を担っていることも映画オリジナルの魅力。寿々男が漫画家という設定だけにとどまらず、マンガがこの家族を結びつける絆の証であることが、しっかりと示されているのが心憎い。実は筧監督は、かつて漫画家志望だったこともあり、寿々男がマンガを描くシーンでは、北山にペンや画材道具などの使い方をみっちり指導。劇中で実優が描く「ネコマン」の原稿も監督が担当した。(ちなみに原作者の板羽は、劇中マンガ「猫ッドファーザー」とラストに登場する家族の水彩画を手掛けている)
大切な人に好きだと伝えることは、自分を愛せるようになる魔法の言葉
主演の北山宏光は、本作で人間と猫、2つの姿で1人のキャラクターを演じるという難題に挑戦。原作の寿々男と北山は外見も雰囲気もよく似ていて、北山自身、演じるうえでは原作の寿々男の表情やリアクションを意識していたとのこと。やんちゃで負けず嫌いだが、どこか憎めない愛嬌のある寿々男&トラさんは、彼だからこそ体現できたといえる。寿々男の妻・奈津子役には、これまた原作のイメージにぴったりな多部未華子。寿々男の死後も変わらず、明るくおおらかだった奈津子が、ラスト30分の時点で、初めて感情を決壊させる演技は必見。このシーンを機に、一気にフェーズが変わっていくパワーがある。
さらに、娘・実優役は撮影当時10歳だった平澤宏々路。トラさんのよき理解者になるお嬢様猫・ホワイテスト役に飯豊まりえ。あの世の関所の裁判長役は、脚本家としても活躍し、筧監督のドラマ「素敵な選TAXI」でも脚本兼出演を務めたバカリズムが演じている。
死んだ後、猫になって初めて寿々男が家族の心を見つめ直すことができたように、現実の世界では、たとえどんなに一緒の時間を過ごしたとしても、人の本当の気持ちはわからない。だからこそ、私たちは生きている間に、せめて大切な人には自分の想いを伝えるべきだ。なぜなら、大切な人に好きだと伝えることは、その人が自分を愛せるようになる魔法の言葉でもあるのだから――高畑家からのそんなメッセージが後からジンワリ効いてくる。
文=石塚圭子
石塚圭子●映画ライター。学生時代からライターの仕事を始め、さまざまな世代の女性誌を中心に執筆。現在は「MOVIE WALKER PRESS」、「シネマトゥデイ」、「FRaU」など、WEBや雑誌でコラム、インタビュー記事を担当。劇場パンフレットの執筆や、新作映画のオフィシャルライターなども務める。映画、本、マンガは日々を元気に生きるためのエネルギー源。
<放送情報>
トラさん 僕が猫になったワケ
放送日時:2022年7月11日(月)8:10~
チャンネル:チャンネルNECO
※放送スケジュールは変更になる場合があります
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