古典SF 『蝿男の恐怖』を鬼才クローネンバーグがリメイク「おぞましさ」と「情感」が渾然一体となったホラー映画

古典SF 『蝿男の恐怖』を鬼才クローネンバーグがリメイク「おぞましさ」と「情感」が渾然一体となったホラー映画

SFXを駆使してホラー映画の新境地を開いた『ザ・フライ』

  • こんなホラーが観たい

古典SF 『蝿男の恐怖』を鬼才クローネンバーグがリメイク
「おぞましさ」と「情感」が渾然一体となったホラー映画

2021/08/23 公開

紆余曲折を経て、鬼才デヴィッド・クローネンバーグが監督に

デヴィッド・クローネンバーグ監督が1986年に発表した『ザ・フライ』は、古典SF 『蝿男の恐怖』(1958年)のリメイクだ。完成した映画は世界的な大反響を呼び起こし、カルト的なアートハウス系のフィルムメーカーと見なされているクローネンバーグのキャリアにおいて最大のヒット作となったが、企画が実現に至るまでには幾多の紆余曲折があった。

企画を立案したプロデューサーのスチュアート・コーンフェルドは、映画化権を持つメジャースタジオの20世紀フォックスとの交渉の末、製作のゴーサインを得たものの、脚本作りが難航。おまけに、才能を見込んで契約を済ませていた新人監督ロバート・バイヤーマンが、身内の不幸によって降板を余儀なくされてしまう。ところがそんな折、フィリップ・K・ディック原作の超大作『トータル・リコール』(1990年)の監督を務める予定だったクローネンバーグが、大物製作者ディノ・デ・ラウレンティスとの意見対立で離脱。企画頓挫の危機に直面していたコーンフェルドは、かくして図らずも『ザ・フライ』のメガホンを託すに最もふさわしいカナダの鬼才を迎え入れることができたのだ。

自らの体で実験を行った科学者セスに異変が現れ始め…

主人公は、カナダ在住のエキセントリックな天才科学者セス(ジェフ・ゴールドブラム)。彼はあるパーティーの席上で出会った美しくも野心的な記者ベロニカ(ジーナ・デイヴィス)を自宅兼研究所に誘い、画期的な物質転送機「テレポッド」の秘密を打ち明ける。まもなくふたりは恋に落ちるが、ベロニカと元恋人ステイシス(ジョン・ゲッツ)の関係に激しく嫉妬したセスは、泥酔した勢いで自らテレポッドに身を投じて転送実験を行う。その衝動的な実験は成功したように思えたが、ポッドには想定外の不純物、すなわち一匹の蝿が紛れ込んでいた……。

本作の主要登場人物は、上記のあらすじに含まれるセス、ベロニカ、ステイシスのわずか3人だけ。ジョルジュ・ランジュランの原作小説「蝿」に忠実なオリジナル版『蝿男の恐怖』における主人公の科学者は妻帯者で、妻の回想によってストーリーが語られたが、クローネンバーグはセスとベロニカが織りなすラブストーリーに変更。さらに三角関係による愛憎のもつれや、他のクローネンバーグ作品では見られないような古典的なロマンティック・コメディの要素も盛り込んだ。公開当時は米アカデミー賞にも輝いたグロテスクな特殊メイクが注目を集めたが、本作を今見直すとクローネンバーグが悲恋ドラマの側面を重んじ、登場人物3人の微妙な心理の綾やそこに生じるセクシュアルなニュアンスを、実に繊細に描いていることに気づかされる。

ジェフ・ゴールドブラムとジーナ・デイヴィスは撮影時、実際に交際中だった

特殊メイクの効果が高める悲恋ドラマとしてのコンセプト

そしてもう一点、『蝿男の恐怖』との最も大きな違いは、人間が蝿のモンスターに変貌していく過程をこのうえなく念入りに映像化していることだ。自分が遺伝子レベルで蝿と融合してしまったとは知る由もないセスは、身も心もそれまでの内気な科学オタクから一変。体操選手のような身体能力を獲得し、別人のように食欲も性欲も旺盛になり、超人化した万能感に酔いしれる。クローネンバーグ作品の常連スタッフであるプロダクション・デザイナーのキャロル・スピアーは、特殊な「回転するセット」を建造し、セスが天井や壁を自在に歩き回るシーンの映像化に貢献した。

人間が蠅男に変わっていく驚きの過程を生々しく描写する

一方、人間の精神の歪みを肉体の変容によって表現するという特異な作風で知られるクローネンバーグ「らしさ」も全開だ。中盤以降、シーンが変わるごとに緩やかに、しかし確実に、セスが世にも醜い蝿人間になっていくシークエンスでは、クリス・ウェイラスのアナログゆえに生々しい質感の特殊メイクが絶大な効果を発揮している。演じる俳優にとってはイメージダウンのリスクを伴う役柄だったが、ジェフ・ゴールドブラムはそのリスクを恐れることなく、長時間の特殊メイクとラバースーツの着用を受け入れ、「蝿のような」身のこなしの役作りにも力を込めた。加えて、撮影中は現場で筋トレに励み、身体的な露出も多いセス役をやる気満々で演じたという。

愛する女性の前で変わり果てた姿をさらす男の切なさに、胸打たれずにはいられない

やがてクライマックスにさしかかると、画面には筆舌に尽くしがたいほどのグロ描写が容赦なく連続するが、そこでもクローネンバーグが構想した悲恋ドラマとしてのコンセプトはまったく揺るがなかった。壮絶なるエンディング直前、見るも無残な「肉塊」に成り果てたセスの「目」が訴えかける物哀しさに、はっと息をのまずにいられない。これほど「直視しがたいおぞましさ」と「胸打つ情感」が渾然一体となったホラー映画は滅多に観られない。

文=高橋諭治

高橋諭治●映画ライター。純真な少年時代にホラーやスリラーなどを見すぎて、人生を踏み外す。「毎日新聞」「映画.com」「ぴあ+〈Plus〉」などや、劇場パンフレットで執筆。日本大学芸術学部映画学科で非常勤講師も務める。人生の一本は『サスペリア』。世界中の謎めいた映画や不気味な映画と日々格闘している。

<放送情報>
ザ・フライ
放送日時:2021年9月3日(金)23:00~
チャンネル:スターチャンネル1

放送日時:2021年9月5日(日)17:30~、16日(木)21:00~
チャンネル:スターチャンネル2

(吹)ザ・フライ
放送日時:2021年9月12日(日)23:00~、19日(日)2:00~
チャンネル:スターチャンネル3

※放送スケジュールは変更になる場合があります