世紀の大富豪の孫誘拐事件を巨匠リドリー・スコットが映画化した『ゲティ家の身代金』

守銭奴の大富豪と勇敢な母親…
世紀の誘拐事件の舞台裏を描く『ゲティ家の身代金』

2023/02/06 公開

1973年7月10日、現地時間の午前3時――。世界に名を轟かす大富豪の孫ジャン・ポール・ゲティ三世が、急停車してきたフィアットに連れ込まれ、ローマはファルネーゼ広場で行方をくらました。彼を誘拐した犯行グループは、身代金として1700万ドルという巨額を要求。それを支払うか否かは、80歳になる家長の一存にかかっていた…。

誘拐された孫の身代金の支払いを渋った大富豪の実話を映画化

2017年に公開された『ゲティ家の身代金』は、石油ビジネスで財を築いた実業家ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)が孫の身代金を支払うことを拒み、三世の母親ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)が寸鉄を帯びず息子の救出にあたった、実話を基にした犯罪映画だ。

ゲティ翁は富を生み出すことに執着した人物で、好意的にとるなら独立精神に身を固めた野心的な男であり、悪く捉えるならば温情に欠けた合理主義者だ。特徴的なのは恐ろしいほどの倹約ぶりで、その徹底こそが、氏の途方もない蓄財を裏づける。1995年に英ベストセラー作家のジョン・ピアースンが手掛けたノンフィクション原作は、そんなゲティ翁の守銭奴ぶりを示すエピソードが満載で、映画でも代表的なものが顔をのぞかせている。たとえば他人に電話を貸すのも惜しいと、私邸に公衆電話を設置したり、あるいは身代金を孫の父親に貸したことにして金利を得ようとするなど、これでは誘拐に直面して金銭トラブルが生じるのも当然といえるだろう。

だが、ゲティ翁が人命よりも私財を守ろうとしたその背景には、一族間での想像を絶するような確執や怨恨が存在し、原作はそんな氏の波乱に満ちた半生にたっぷりと頁を割き、事件ルポという以上に伝記的な性質を満たしている。そして後半はポール三世の誘拐へと視点を移し、それに対してゲティ翁がとる行動と、彼の生い立ちや性格といった諸要素が、いかに事件の解決を困難なものにしたのか符号を合わせていく。

ゲティ翁が身代金の支払いを断固拒否するなか、ゲティ三世の母親ゲイルが犯人グループとの交渉に試みる

このノンフィクションの脚本化を担当したデヴィッド・スカルパ(『地球が静止する日』)は、そんな二部構成形式をとった原作を縒り縄のように一本化し、誘拐サスペンスとしての純度を高いものにしている。そして監督を担った巨匠リドリー・スコット(『ブレードランナー』『グラディエーター』)は、並外れた映像センスでローマという都市の異国性を際立たせ、母ゲイルが体験するアウェイでの緊張とトラウマに満ちた一部始終を巧みに演出している。監督はこの恐喝犯罪を、誘拐犯によって削ぎ落とされたポール三世の耳の写真と共に鮮烈に憶えており、それが映画の迫真性とドキュメンタリー感覚を決定づけるものとなった。

加えてスコット監督らしいのは、誘拐騒動が膠着状態の真っただ中で、孤立無援で戦うゲイルのたくましいキャラクター像の浮き彫りにある。絶望的な立場に置かれた無一文の母親と、裕福だが感情がミイラ化した祖父との人命をめぐる駆け引きは、この映画の大きな動力となって映画を牽引していくのだ。その傾向は『テルマ&ルイーズ』(1991年)や『最後の決闘裁判』(2021年)といった自作に共通する、女性のエンパワーメントを力強く印象づけていく。

マスコミからの好奇の目にもさらされながら、ゲイルは息子を取り戻すために奮闘する

公開見送りの危機が迫るなか、クリストファー・プラマーが代役を務めて映画が完成

ほかにもこの映画を語る上で、欠かすことのできないエピソードがある。それは主役の交代劇だろう。

本作は当初、『ユージュアル・サスペクツ』(1995年)と『アメリカン・ビューティー』(1999年)で米アカデミー賞を受賞したケヴィン・スペイシーがゲティ翁を演じていた。しかしプロダクションの過程で、ハリウッドのベテラン製作者ハーヴェイ・ワインスタインの性的不品行に端を発する、同種のスキャンダルが表面化。スペイシーも未成年者との性交渉が明るみに出たのである。結果、映画の公開見送りが検討されたのだが、熟慮の末に別のキャストで再撮影するという策がとられることとなった。そこでゲティ翁役に『インサイダー』(1999年)、『人生はビギナーズ』(2010年)の名優クリストファー・プラマーが急きょ抜擢されたのだが、公開日までわずか1か月しか猶予がなかった。

代役としてゲティ翁を見事に演じ切った名優クリストファー・プラマー

しかしスコット監督以下クルーは、その間の9日間で最小限必要となる400ショット、計22シーンを見事に撮り直し、作品は無事に陽の目を見たのである。

公開後、本作は5000万ドルの製作費(うち1000万ドルは追加撮影分)に対して、約5600万ドルと世界興行成績は振るわなかったが、作品そのものをなかったことにするのではなく、むしろ再撮影をしてでも世に出す選択をとることで、エンターテインメントとしてあるべき道義的な姿勢を示した。そしてプラマーの威厳と狡猾さを併せ持つパフォーマンスは賞賛され、翌年の第90回米アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたのだ。

プラマーはアカデミー賞助演男優賞にもノミネートされるなど改めてその存在感を示した

なによりスコット監督にとって、常識の尺度では計り知ることのできない、欲に冒されたセレブリティのカオスな醜態は、創造心を大いに刺激するものだったのだろう。後年、世界的ブランドであるグッチ一族のお家騒動をスリリングに描いた『ハウス・オブ・グッチ』(2021年)を手掛け、老境に達してさらに表現域を拡げたことは記憶に新しい。

文=尾崎一男

尾崎一男●映画評論家、ライター。「フィギュア王」「チャンピオン RED」「キネマ旬報」「映画秘宝」「熱風」「映画.com」「ザ・シネマ」「シネモア」「クランクイン!」などに数多くの解説や論考を寄稿。映画史、技術系に強いリドリー・スコット第一主義者。「ドリー・尾崎」の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、配信プログラムやトークイベントにも出演。

<放送情報>
ゲティ家の身代金 [R15+]
放送日時:2023年2月25日(土)21:00~
チャンネル:ザ・シネマ

※放送スケジュールは変更になる場合があります

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