当時17歳の吉永小百合のフレッシュな演技に注目したい「キューポラのある街」

吉永小百合の原点にして、高度経済成長の日本が生んだ名作
戦後転換期の混沌の中から立ち上がる「新しい女性」像を描く

2021/07/26 公開

時代の変化を、少女を通じて描き出す

長年にわたり日本映画界において、スペシャルな位置に立ち続ける吉永小百合。今年公開された最新作『いのちの停車場』(監督:成島出)では、自らトークイベントに登壇し、コロナ禍での映画鑑賞の在り方や映画人の仕事の意義についてスピーチしたことも話題になった。
そんな吉永小百合の歩みを改めて確かめるためにも、初期の名作『キューポラのある街』(1962年)をじっくり味わいたい。撮影当時の彼女は高校2年生。17歳の若さでブルーリボン主演女優賞に輝いた。「サユリスト」と呼ばれる同世代の熱狂的ファンを生んだ、戦後日本を生きる「新しい女性」としての魅力の原点がここに瑞々しく刻まれている。

この映画の背景となるのは時代の転換期の様相である。原作となった早船ちよの小説「キューポラのある街」は1959年(昭和34年)から雑誌「母と子」に連載されたもので、1962年(昭和37年)に日本児童文学者協会賞を受賞。本作に注目した日活が素早く動き、ほぼリアルタイムでの映画化となった。
当時は1964年(昭和39年)の東京オリンピックを控え、日本社会が高度経済成長に邁進して目一杯のギアを入れていた時期。そのぶん経済格差や価値観の変化など、過渡期ならではの分断や軋みが生じていた頃でもある。
映画の冒頭シーン、空撮(カメラは名手・姫田真佐久)に重なる以下のナレーションが印象的だ。
「今や世界一となったマンモス東京の北の端から荒川の鉄橋を渡ると、すぐ埼玉県川口市につながる。川ひとつのことながら、我々はこの街の生活の中に東京と大きな違いを感じる」――。

そう、舞台となるのは川口の郊外。鋳物工場が建ち並び、昔から「ものづくり」が盛んな職人の街と呼ばれたエリアである。ナレーションで「特色ある煙突」と紹介されるキューポラとは、鉄の溶解炉のことだ。とはいえ工場もオートメーション化の導入が進められており、昔ながらの職人は仕事を失いがちな時期に差し掛かっていた。

新時代らしい「自立する女性」としてたくましく描かれるジュン

吉永小百合が演じるのは、この街で暮らす中学3年生の石黒ジュン。彼女は利発で明るく学校の成績も優秀。浦和にある名門の県立高校進学を志望しているが、そんな折、父親の辰五郎(東野英治郎)が勤め先の工場を解雇されてしまった。昔ながらの鋳物職人であり、保守ゴリゴリの頑固親父である辰五郎はすっかりスネてしまい、組合の協力も「アカの世話になんかなるか!」と撥ね除ける。家計は火の車で、しかも母親のトミ(杉山徳子)は新しい子供を出産したばかり。さらにふたりの弟を抱え、ジュンは6人家族となった石黒家の長女として早くも人生の岐路に立たされる。

石黒家は経済的に貧しい家庭だ。ジュンは「あたいさ、勉強しなくても高校に行ける子に負けたくないんだ」と自力で進学費用を捻出するべく、パチンコ屋のアルバイトなどに励むが、想定外の出費が重なり巧くいかない。だが時代の恩恵として、家の中には白黒テレビやラジオといった娯楽家電は置いてある(1962年の白黒テレビの世帯普及率は79.4%。「公民統計・耐久消費財の世帯普及率の変化」より)。一方でふすまは破れたまま。家の壁にはチキンラーメンのパネルが貼ってあったり、植木等が歌う「スーダラ節」などヒット曲がさりげなく流れたりと、新しい時代風俗が貧困の困難に交じって混沌としている。その中でジュンという主体の「近代的自我の目覚め」(原作者・早船ちよの言葉)が立ち上がっていく。

ダイバーシティ化するそれぞれの「生き方」

ジュンたちは、旧時代から新時代へと移り変わる分岐点に立っている

また本作は、多彩な生き方を映し出す群像劇でもある。特にジュンのわんぱくな弟で、不良の道に片足をつっこんでいる小学生のタカユキ(市川好郎)は印象的だ。彼の親友・金山サンキチ(森坂秀樹)は在日朝鮮人である父親の息子(つまり在日2世に当たる)で、ドラマの大きなキーパーソンになる。サンキチが学芸会でジュール・ルナール作「にんじん」の演劇の主人公を演じた時、生徒たちから「朝鮮にんじん!」とからかわれるシーンなど、いまの感覚で観ると差別描写はかなり苛烈だ。しかしそういった狭量な偏見から抜け出そうとする側にジュンやタカユキたちは立っている。
劇中では若い鋳造工の克巳(浜田光夫)の口を通して「ジェネレーション」という言葉も飛び出すが、本作には旧世代と新世代の対立にまつわる緊張感があり、もちろん映画は新世代に希望を託している。抑圧的な家父長制は破綻・崩壊し、ジュンは「自立した女性」として覚醒していく。現在なら『キューポラのある街』をフェミニズムの見地から捉え直すことも可能だろう。

監督はこれがデビュー作となった名匠・浦山桐郎(1930年生~1985年没)。脚本は浦山の日活の先輩である今村昌平との共同。ちなみに浦山監督と吉永小百合は『青春の門』(1975年)やアニメ『龍の子太郎』(1979年)、監督の遺作となった『夢千代日記』(1985年)でも組んでいる。

ただ一点、現在の視座から註釈が必要なのは「北朝鮮帰国運動」についてだろう。これは1959年から84年まで続いた日朝の赤十字社による帰還事業で、1960年代には『キューポラのある街』の金山家のように、日本から北朝鮮に渡っていく移民家族が多かった(今年公開されたアニメ『トゥルーノース』の主人公家族のルーツも然り)。当時の北朝鮮にネガティヴなイメージは薄く、この事業も日本で差別的な扱いに甘んじていた在日朝鮮人への人道的な措置と認められていたのだ。続編『未成年 続・キューポラのある街』(1965年/監督:野村孝)も含めて、この点は当時の「進歩的」とされていた社会認識・世界把握の限界として柔らかく受け止めたい。

普遍的な構造として『キューポラのある街』が差し出すのは、どんな環境でも前向きに生きることの大切さであり、鑑賞後はとてもさわやかな後味をもたらしてくれる。ちょうど『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(2005~2012年/監督:山崎貴)が懐古的に描いた時代のお話でもあるが、1964年の東京オリンピック直前と、2021年の東京オリンピックの日本――いったい60年近くの時代の流れで我々はどこに向かったのか。いまの目だとまるで「別の国」の出来事のようにも映る『キューポラのある街』を観ることは、幸福の本質について考える良い機会になるかもしれない。

文=森直人

森直人●1971年生まれ。映画評論家、ライター。著書に「シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~」(フィルムアート社)、編著に「21世紀/シネマX」「シネ・アーティスト伝説」「日本発 映画ゼロ世代」(フィルムアート社)、「ゼロ年代+の映画」(河出書房新社)など。YouTubeチャンネル「活弁シネマ倶楽部」でMC担当中。映画の好みは雑食性ですが、日本映画は特に青春映画が面白いと思っています。

<放送情報>
キューポラのある街(※2014年10月放送時の吉永小百合のインタビューも放送)
放送日時:2021年8月1日(日)18:40~、12日(木)21:00~
チャンネル:日本映画専門チャンネル
※放送スケジュールは変更になる場合があります

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