ロンドンの街に生きるロシアンマフィアの社会を映す『イースタン・プロミス』ほか、デヴィッド・クローネンバーグ監督の傑作3本を紹介

精神分析的な視点で人間の業を掘り下げる…
カナダの巨匠、デヴィッド・クローネンバーグが生み出す狂気の世界

2023/07/31 公開

「自分ってなんだろう?いつか自分が自分じゃなくなる時が来るんじゃないか?」

子どもの頃によくそんなことを考えた。考えすぎると、自分が壊れていくような恐怖感があった。誰しも幼い時に似たような経験があると思うけれど、そういう疑問は大人になると減っていき、やがて忘れる。でも、決して忘れない人もいて、そういう問いに果敢に挑み続ける人は哲学者や芸術家になったりする。

映画監督でこの種の問いに挑み続け、精神分析的なホラーの第一人者となっているのがカナダ出身の巨匠デヴィッド・クローネンバーグ監督だ。彼の初期傑作2本と、後期の傑作をご紹介したい。

精神分析的なホラーを撮り続けてきたデヴィッド・クローネンバーグ監督(『イースタン・プロミス』)

人間の精神状態をテーマにしたクローネンバーグの代名詞となる傑作ホラーたち

『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(1979年)は、ある夫妻とその5歳の娘、そして「サイコプラズミクス」という奇妙な心理学的療法を行っている精神科医の映画だ。

クローネンバーグは、大学時代に生化学・生物学・文学を専攻しており、精神分析学について造詣が深い。人間の精神状態が通常値を超えるレベルになるとどうなるか、人類というのはどこまで奥深いか、ということを主題にした映画を多く手掛けていて、本作は彼の映画のエッセンスが詰まった傑作の一つといえる。

精神科医と患者、子どもへの虐待を疑われる母、というモチーフからスタートした物語はどんどん加速を始め、やがて予想もつかなかった展開へと広がっていく。精神分析や心理学というと、聞き慣れないワードが頻出して難しそうな印象があるが、クローネンバーグの映画は決して難解ではない。彼の映画の特徴として、映画が本来的に持っている「見世物」としての娯楽性を決して忘れないということがある。クローネンバーグの場合、その見世物性はホラーとバイオレンスに結実する。

彼の映画で最も有名なのは『ザ・フライ』(1986年)だけど、この映画では「もし人間とハエが融合してしまったら」という悪夢のような着想を、当時の最高技術を使って本気で実現している。誰もが畏れる「自分が自分じゃなくなる時」がこれでもかと容赦なく描かれるのだ。

精神的な限界に達した人間の狂気を視覚的に表現した『ザ・ブルード/怒りのメタファー』

『スキャナーズ』(1981年)は、超能力者たちの死闘を描いたSFホラーだ。この映画は「これぞクローネンバーグ監督印」という代表作で、世の中に数多の超能力者映画があるものの、これほど陰鬱な気持ちになるものもない。というのも、だいたいの映画は超能力者を描くと、最後は派手なアクション大会になるものを、クローネンバーグは決してそうしないからだ。

発火点は「人間のコントロール領域が通常より広がったらどうなる?」という疑問にあり、彼が描きたいのはアクションではなく、その行き着く先なのだ。そして、それは残念ながらハッピーなものとはなりえない。

序盤から不穏さが爆発する。スキャナーと呼ばれる超能力者が、ある公開実験の場で被験者の頭を文字通りドカン!と爆発させるのだ。その残酷カットは映画史に残るものとなっていて、特殊メイクの第一人者、ディック・スミスの凄まじい技術力も含めて、今でも眼を見はるものがある。

全編にみなぎる不穏な空気と急に訪れる暴力、ずっとスッキリさせてもらえない展開など、怖いものが好きな人にとっては必見作といえるだろう。

超能力者たちによるサイキックバトルを不穏な空気と暴力性をもって描く『スキャナーズ』

日常のどこにでも潜む「悪」と人間の業の深さに迫る『イースタン・プロミス』

最後に紹介するのは、私にとってオールタイムベスト1の映画『イースタン・プロミス』(2007年)。この映画の怖さの主題は、精神的なものではなく、むしろ現在的な「悪」そのものへと移っている。なんの変哲もないロンドンの街を舞台に、ロシアのマフィアによる人身売買が描かれるのだ。

ある日、ナオミ・ワッツ演じる主人公の助産師・アンナのもとに、身元不明の妊娠した少女が運び込まれる。少女は子どもを産むと死んでしまうが、アンナは彼女が持っていた手帳が気になって調べていく。すると、その先にはとてつもない悪の世界が広がっていて…。

孤児となった赤ん坊の引き取り先を探すため、少女の身元を調べ始めるアンナ(『イースタン・プロミス』)

私が本作を最初に観て衝撃を受けたのは、マフィア世界に対する斬新かつビビッドな描き方だ。彼らは、私たちと別の世界に棲んでいるわけじゃない。いつも通る道の、よく見るあのドアの向こうにいて、そこでは想像もできない悪の所業が繰り広げられている。人間とは、これほどまでに他者に残酷になれるのか。本作でクローネンバーグが見つめるのは、人間社会の凄まじいまでの業深さだ。

アンナにロシアンマフィア「法の泥棒」で運転手をしているニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)が近づく(『イースタン・プロミス』)

ちなみに本作については、アッと驚く展開が隠されているので、物語については多くを語らず、ぜひご覧いただくのがよいだろう。ラストカットの切れ味には誰しも驚くはずで、これはまだ本作を観ていない方だけが味わえる特権だ。

文=入江悠

入江悠●1979年生まれ。映画監督。監督作に「SRサイタマノラッパー」シリーズ、『日々ロック』(2014年)、『ジョーカー・ゲーム』(2015年)、『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(2017年)、『AI崩壊』(2020年)、『聖地X』(2021年)、『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』(2023年)など。

<放送情報>
イースタン・プロミス[R-15指定版]
放送日時:2023年8月11日(金・祝)21:00~、18日(金)14:20~

ビデオドローム
放送日時:2023年8月12日(土)21:00~、22日(火)8:45~

スキャナーズ
放送日時:2023年8月13日(日)21:00~、21日(月)23:20~

ザ・ブルード/怒りのメタファー
放送日時:2023年8月14日(月)21:00~、26日(土)15:10~

裸のランチ[4Kレストア版]
放送日時:2023年8月15日(火)21:00~、27日(日)15:10~

シーバース/人喰い生物の島
放送日時:2023年8月16日(水)21:00~、26日(土)13:30~
チャンネル:スターチャンネル2

※放送スケジュールは変更になる場合があります

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