揺れ動く人々の「心の旅」に迫る
韓国の名匠、ホン・サンスが紡ぐ珠玉の2本
2023/06/26 公開
先行きの見えない青年の人生を紐解いていく『イントロダクション』
『パラサイト 半地下の家族』(2019年)で世界的な名声を得たポン・ジュノ監督や海外でも精力的に作品を作り続けるパク・チャヌク監督、『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016年)の成功をきっかけにプラットフォームを横断しながら独自の世界を拡張しているヨン・サンホ監督など、個性豊かな監督たちがそろう韓国。そんななか、1996年のデビュー作『豚が井戸に落ちた日』から、今年5月にカンヌ国際映画祭で上映された『In Our Day』まで、27年間で30本もの作品を生み出してきたホン・サンス監督の存在も忘れることはできない。
ホン・サンスの映画は長い間、「酒を飲んで他愛もない会話を繰り返し、目の前の相手をやたらに口説く、自由奔放で、ちょっと愚かな人間たち」がトレードマークだった。また、一つの映画の中で同じようなシチュエーションが繰り返され、その微妙な差異を楽しむような構成も特徴的だった。そんな彼の映画に変化が訪れたのは、『正しい日 間違えた日』(2015年)で初めて起用し、その後、プライベートでもパートナーであることを公言したキム・ミニが主演を務めた『夜の浜辺でひとり』(2017年)。女性の視点から描かれたこの作品ではそれまでのような自嘲的なユーモアが抑えられ、生真面目さと潔さが目立つようになった。さらに近年は「老い」や「死」といったテーマも自然な形で登場している。今回紹介する『イントロダクション』(2021年)では、人生のとば口に立つ青年ヨンホが過ごす日々が3部構成でスケッチされており、「上の世代から若者に向けて送る激励」のような視線も感じられる。
韓方医である父に会うため、彼の病院を訪れたヨンホ(シン・ソクホ)。しかし、旧知の俳優への対応に忙しい父は、なかなか彼の前に顔を見せない。時間を持て余していたヨンホは、幼い頃から顔なじみの看護師と言葉を交わす。しばらくして、留学中の恋人ジュウォン(パク・ミソ)を追ってベルリンへとやってくるヨンホ。ジュウォンと離れがたくなった彼は自分もここで勉強しようかと話す。さらに時間が過ぎ、母に呼び出され、友人を伴って海辺の食堂にやってきたヨンホ。そこにいたのは父の病院で会った俳優だった。酒を酌み交わしながら、ヨンホたちに語りかける俳優。やがて、彼の前にいることにいたたまれなくなったヨンホは、寒空の下、砂浜へと向かう。
ヨンホを演じているのは、建国大学映画芸術学部でホン・サンスの教えを受けたシン・ソクホ。ジュウォン役のパク・ミソと共に、その後もホン・サンス作品への出演が続いている。「これからどう生きていったらよいのだろう?」と迷うヨンホが、唐突にも見える抱擁を繰り返すこの映画では、彼を見守る大人たちの姿が優しく、冬を舞台にしたモノクロ作品ながら、温かい余韻が残る。
一人の中年女性の心奥を、一日の出来事を通して映し出す『あなたの顔の前に』
一方、ベテラン俳優のイ・ヘヨン主演の『あなたの顔の前に』(2021年)は、目の前にある命の輝きを賛美し、若者だけでなく、観る者すべての人生を肯定するような作品だ。
長くアメリカ暮らしを続け、久しぶりに韓国に戻ってきたサンオク(イ・ヘヨン)。妹ジョンオク(チョ・ユニ)の家に身を寄せている彼女は川沿いのカフェで一緒に朝食をとりながらアメリカでの生活について語る。その後、ジョンオクの息子である甥のスンウォン(シン・ソクホ)から思いがけないプレゼントをもらい、喜びの気持ちに浸りながら映画監督ジェウォン(クォン・ヘヒョ)との待ち合わせ場所に向かうサンオク。かつて俳優だった彼女に、ジェウォンは一緒に映画を作らないかと誘う。
ホン・サンスの作品を観ていると、彼が作ったすべての映画に出てくる人たちが同じ世界に住んでいるような気がしてきて「隣の街に行けば、あの映画の人たちと会えるかも」と考えてしまうことがある。特に『あなたの顔の前に』では、主人公の妹役のチョ・ユニと、息子役のシン・ソクホが、『イントロダクション』に続いて母子を演じているせいか、まるで一本の映画のように緩やかに重なり合っているようにも感じられる。
とはいえ、『あなたの顔の前に』を圧倒的に輝かせているのは、サンオクに扮したイ・ヘヨンの存在だ。60年代を代表する監督であるイ・マンヒの娘として知られ、自身も80年代から数多くの映画やドラマに出演してきた彼女が、おなじみの濃いアイラインはおろか、化粧気のまったくない顔で登場することに、まず驚かされる。独特の声やイントネーションは健在ながら、ある決意をもって帰国した女性が過ごす奇跡のような一日を、自然体であると同時に、長く俳優として過ごしてきたことを随所に感じさせる美しい身のこなしで見せていく。「人生の終盤に差しかかった女性」という、ホン・サンス映画における新たなキャラクターはイ・ヘヨンという「顔」を得て驚くほどの説得力を獲得し、彼女の一挙手一投足が今、目の前にあるものの美しさとかけがえのなさを観る者に伝える。イ・ヘヨンはこの作品に続く『小説家の映画』(2022年)でもホン・サンスと組んでいる。
私たちの目の前に広がる世界は、代わり映えがしないように見えて、日々変化している。そして私たち自身も生きている限り、変わり続ける。ホン・サンス監督は映画という表現を通じてそのことを探究し続けている。
文=佐藤結
佐藤結●映画ライター。韓国映画やドキュメンタリーを中心に執筆。「キネマ旬報」「韓流ぴあ」「月刊TVnavi」などの雑誌や劇場用パンフレットに寄稿している。共著に「『テレビは見ない』というけれど エンタメコンテンツをフェミニズム・ジェンダーから読む」(青弓社)がある。
<放送情報>
イントロダクション
放送日時:2023年7月1日(土)23:30~
あなたの顔の前に
放送日時:2023年7月2日(日)0:45~
チャンネル:WOWOWシネマ
※放送スケジュールは変更になる場合があります
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