第64回アカデミー賞で作品賞など5部門を獲得したジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』

『羊たちの沈黙』と『フィラデルフィア』
俳優たちの最高の演技を引き出したジョナサン・デミの手腕

2024/03/25 公開

ハンニバル・レクターという映画史に残る怪物を作り上げた『羊たちの沈黙』

これまで映画で描かれてきた怪物のなかで一番怖い存在はなんだろう。

長い映画の歴史のなかでは、人造人間、怪獣、宇宙生命体まで様々なものが描かれてきたけれど、生身の俳優が演じたもののなかで最恐だと思う怪物がいる。それが『羊たちの沈黙』(1991年)のハンニバル・レクター博士だ。演じているのは、名優アンソニー・ホプキンス。

『羊たちの沈黙』はもともとトマス・ハリスによる小説だった。ジョナサン・デミ監督はこの小説を忠実に映像化しながら、さらに繊細な演出を施すことによって、映画を不朽の傑作にした。米アカデミー賞はジャンル映画に対してあまり作品賞を与えないことで有名だが、『羊たちの沈黙』はホラー映画でありながら初めて作品賞を受賞した。では、この映画のメガトン級の怪物であるハンニバル・レクターとはどんな人物なのだろうか。

人肉嗜好の連続殺人鬼でありながら、紳士的でインテリジェンスにも富み、不思議な魅力を持ったハンニバル・レクター博士(『羊たちの沈黙』)

彼は天才的な洞察力と広範な知識を持つ精神科医でありながら、人肉嗜好を持ち、人を殺すことをなんとも思っていない。殺人罪で脱獄不可能な牢獄に囚われている。そこへFBIの若き女性実習生クラリス・スターリングが訪れる。クラリスは現在進行形の猟奇事件の解決のために、レクター博士に助言を頼む。こうして2人の奇妙な交流が始まっていく。映画ではこのクラリスをジョディ・フォスターが演じている。

しかし、レクター博士は常軌を逸した人間ではない。会話がまったく成立しないようなモンスターではないし、態度はむしろ紳士的でエレガントだ。すぐにカッとなり暴力を振るう粗暴な男でもない。そもそも彼は独房に囚われていて、身体的な自由はない。それでも怖い。なんでこんな人物が造形できたのかと驚くほど、怖い。この映画のあと、様々な監督や俳優がこれを超える怪物を作ろうと挑戦したが、いまだにアンソニー・ホプキンスが演じたレクター博士を超える怪物を作り得たことはない。

クラリスが初めてレクター博士の独房を訪れるシーンに、こんなやりとりがある。レクター博士は空気孔に鼻を向けると、防弾ガラスの向こうにいるクラリスの匂いを嗅ぎ、「エビアンのクリームを使ってるな。香水はレール・デュ・タン。だが今日はつけてない」と優雅に指摘する。

さらにクラリスの服装を見て、「カバンは高価だが靴はお粗末、都会出身ではなく田舎の出だろう」という。クラリスの捜査の質問に答える代わりに、「君の子どもの頃の話を聞かせてくれ」と交換条件を出す。こうしてクラリスは、次第にレクター博士の支配下に置かれていく。クラリスは自由の身で、レクター博士が牢獄に囚われているのに、いつのまにか関係性が逆転していく。やがてレクター博士は一切暴力を使わずに、より自由の身となっていく。

その鮮やかすぎる手腕と、ホプキンスの華麗な身のこなしはただただ「美しい」と評するしかない。これまで映画は様々な脱獄の名シーンを描いてきたが、本作におけるレクター博士の脱獄はその中でもベスト・オブ・ベスト。あまりに秀逸で何度観てもうっとりしてしまう。

レクター博士に連続猟奇殺人犯のプロファイリングを依頼するクラリス・スターリング(『羊たちの沈黙』)

差別意識に苦悩し、向き合う弁護士をトム・ハンクス&デンゼル・ワシントンが演じる『フィラデルフィア』

ジョナサン・デミが『羊たちの沈黙』のあとに監督したのが、『フィラデルフィア』(1993年)。同性愛者でエイズ患者であるために、大手法律事務所を不当解雇される弁護士をトム・ハンクスが演じている。彼が、古巣を訴えるために力を借りる別の会社の弁護士をデンゼル・ワシントンが演じる。アメリカ映画を代表する主演俳優2人の共演が観られる貴重な一作だ。

トム・ハンクスとデンゼル・ワシントンという名優2人が共演した『フィラデルフィア』

本作では、エイズや同性愛への偏見に立ち向かう主人公の姿を描くが、注目に値するのが、ワシントン演じる弁護士もまた同性愛に対して偏見を持っている、という設定だ。わたしたちは誰しも差別意識や偏見と無縁ではない。では、どうやってそれを乗り越えていくことができるか、という問いかけが本作ではなされている。その意味で、ただの友情モノや法廷モノではない、より難易度の高い問題提起をジョナサン・デミ監督がしている。

テーマだけでなく、病気のためにどんどんやつれていくハンクスの姿も注目だ。本作では「なぜこんなにアップが多いんだろう」と思うほど、俳優たちの顔のアップが多用されているが、観ていくとやがてその意味がわかってくる。誰でも変化のただ中にいて、一人として明日も明後日も元気かどうかはわからない。

『フィラデルフィア』でトム・ハンクスは第64回アカデミー賞主演男優賞を受賞した

人生の締めくくりに向かっていく若きハンクスの顔、彼に協力することを決めたワシントンの顔。2人の顔が映画の最初と最後でどう変わり、何が変わらないのか。そこに注目して観ると、より深みが増すだろう。

文=入江悠

入江悠●1979年生まれ。映画監督。監督作に『SRサイタマノラッパー』シリーズ、『ジョーカー・ゲーム』(2015年)、『22年目の告白 -私が殺人犯です-』(2017年)、『AI崩壊』(2020年)、『聖地X』(2021年)、『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』(2023年)など。新作『あんのこと』が2024年6月公開。

<放送情報>
フィラデルフィア
放送日時:2024年4月2日(火)18:15~
チャンネル:ザ・シネマ

羊たちの沈黙
放送日時:2024年4月10日(水)16:45~、20日(土)22:15~
チャンネル:WOWOWプラス 映画・ドラマ・スポーツ・音楽

※放送スケジュールは変更になる場合があります

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