大富豪になりすました青年に次々と訪れる難題
緊張感に満ちた『太陽がいっぱい』が提示するサスペンスの在り方
2022/06/27 公開
ナポリ近くのイタリアの港町、モンジベッロ。そこで貧しいアメリカ青年トム・リプリー(アラン・ドロン)は、大富豪の実業家から依頼を受け、彼の放蕩息子フィリップ・グリンリーフ(モリース・ロネ)をサンフランシスコへ連れ戻そうとしていた。だがフィリップは輝かしい太陽に照らされた地中海での生活に浴し、帰るよう説得しても耳を貸そうとはしない。しかも、リプリーにとって事は差し迫っていた。フィリップの父親が彼の資金提供を止めると通告してきたのだ。その焦燥はフィリップの人生に対して抱いていたリプリーの羨望を、次第に殺意へと追いやっていく。
完全犯罪をめぐる緊張感が耐え難いレベルの傑作サスペンス
1960年製作のフランス映画『太陽がいっぱい』は、なりすましによる完全犯罪を描いたサスペンススリラーであり、快楽主義の若者同士の友情物語に見せかけ、おぞましい殺人事件への軌道をゆっくりと踏まえていく。綿密な心理的観察をスタイルとし、出色なのはリプリーの徹底したカモフラージュが成功するかに見えて、それを破綻させようとする困難が次から次へと降りかかり、観る者の緊張は耐え難いレベルへと押し上げられていくのだ。
ニーノ・ロータによる美しく哀感に満ちた音楽は、今や映画から独立した形で耳にする名曲となり、リプリーを演じたアラン・ドロンは本作をきっかけに注目を集め、世界的な名優の一人となっていく。現代のサスペンスは総じてアクションと融合されて視覚的な緊張を強いていくが、本当によくできたサスペンスは、皮膚の下を何かが這うような感触を覚えさせるものだと本作は主張する。
この特性は女性作家パトリシア・ハイスミスの原作に由来するものだが、それを優雅にアダプトした脚本家ポール・ジェゴフと、監督ルネ・クレマンによる巧みな演出も大きな役割を果たしている。裕福な仲間を殺し、そのアイデンティティを引き継ぐ男の大胆な犯行を細心に描き、美しい巨木を内側から食い尽くす侵食にも似た恐怖を高めていく。
緻密でリアルな人物描写と写実的な演出、名優アラン・ドロンの存在感
クレマンは戦災孤児の悲壮を描いた名編『禁じられた遊び』(1952年)を手がけたフランスの名匠だが、60年代に起こった映画の変革運動「ヌーヴェルヴァーグ」によって支持を失った。だが本作によって氏はキャリアの大きな転換を遂げたのである。もともとクレマンはドキュメンタリー短編に始まり、実録スタイルのレジスタンス映画『鉄路の斗い』(1945年)や『居酒屋』(1956年)などを発表。これらリアリストとしての文脈に沿う形で手がけたのが本作なのである。それはロケ撮影を中心とした作りに明白で、奇しくも脱スタジオを標榜したヌーヴェルヴァーグへの意趣返しもとれる。
加えてクレマンの同作における功績は、バレエ団や酔っ払いの駐在員などハイスミスの本にはないキャラクターを増やし、沿岸のリゾート地をディテール豊かに見せ、そしてリプリーの完全犯罪を打ち砕くような、映画史上最も衝撃的なエンディングを独自に付け加えたことにあるだろう。ハイスミスは映画の独自解釈に対して難色を示していたが、こうした改変こそが本作の名声に大きく影響したといっても過言ではない。
このコーナーで紹介してきたサスペンス映画には実在の事件をヒントにしたものが多いが、『太陽がいっぱい』もそのケースに漏れない。ハイスミスの伝記『Beautiful Shadow:A Life of Patricia Highsmith』(アンドリュー・ウィルソン著)によると、死んだと思われていた焼死体の男が、葬式の後に酒を飲んでいるところを保護されたというヘラルド・トリビューンのニュースが発想の起点となっている。それと共にジュリアン・グリーンが1947年に発表した身体交換ファンタジー「私があなたなら」と、ヘンリー・ジェイムズの1903年の小説「大使たち」を、それぞれインスピレーションの源泉として挙げている。
加えて主人公であるトム・リプリーの造型にも、影響を与えた実在の人物がいる。それはハイスミスが文芸誌「グランタ」の1989年冬号に寄せたエッセイの中で、1951年の夏に初めて訪れたアマルフィ海岸のポジターノで見かけた青年のことに触れている。その青年は短パンにサンダル、肩にタオルをかけ、物思いにふけった雰囲気で浜辺を歩き、不安そうだったという。この孤独な男のイメージが、若いアメリカ人がヨーロッパに派遣され、もう一人のアメリカ人を連れて帰るという物語を発展させたのだと述べているのだ。
ハイスミスの緻密な人間観察に基づく筆致と、クレマン監督の写実的なアプローチ、そしてアラン・ドロンの繊細なパフォーマンスが一体化し、映画史上稀に見る犯罪キャラクターを涵養していったのである。
文=尾崎一男
尾崎一男●1967年生まれ。映画評論家、ライター。「フィギュア王」「チャンピオン RED」「キネマ旬報」「映画秘宝」「熱風」「映画.com」「ザ・シネマ」「シネモア」「クランクイン!」などに数多くの解説や論考を寄稿。映画史、技術系に強いリドリー・スコット第一主義者。「ドリー・尾崎」の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、配信プログラムやトークイベントにも出演。
<放送情報>
太陽がいっぱい[HDリマスター版]
放送日時:2022年7月2日(土)10:00~、6日(水)12:00~
チャンネル:スターチャンネル2
太陽がいっぱい[吹]夏の名作シネマスペシャル版
放送日時:2022年7月5日(火)23:10~
太陽がいっぱい[新録・完全吹替版]
放送日時:2022年7月12日(火)23:20~
チャンネル:スターチャンネル3
※放送スケジュールは変更になる場合があります
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