実際に起きた妻による夫の嘱託殺人事件を題材にした小説を映画化した『誘う女』

一人の女性を夫殺しの狂気へと駆り立てたものとは?
SNS社会にも通じる『誘う女』の自己顕示欲

2022/10/03 公開

1990年5月、アメリカはニュージャージー州デリーに住む22歳の女性高校職員が、複数の未成年者らと共謀し、24歳の夫を殺害した嫌疑で告発された。被告人の名をとって「パメラ・スマート事件」と呼ばれたこの出来事は、パメラが自分の勤める職場の生徒をそそのかし、犯行に及んだとしてマスコミを席巻。公判を重ねるたびに明らかとなる、センセーショナルな事件の顛末が全米で物議を醸した。

この事件から約2年後。女性作家ジョイス・メイナードは、パメラが起こした犯罪のあらましをベースに、一作の長編小説を世に送り出した。「誘惑」というタイトルで翻訳されたこの創作ミステリーは、パメラを想定した主人公スザーン・ストーンの回想を軸に、彼女が計画した嘱託殺人を、20人以上に及ぶ関係者の証言を照合させ浮き彫りにする。まるでドキュメンタリーのような筆致で、読み手を否応なく事件の真相へと辿り着かせていくのだ。

『誘う女』(1995年)は、そんな「誘惑」を語り口そのままに、監督ガス・ヴァン・サント、ニコール・キッドマン主演で映画化した犯罪サスペンスだ。すべての基となったパメラの事件から、わずか5年で映画化へと至ったことも手伝い、本作はフィクションでありながらも実際の事件と同様、生々しい感触とブラックコメディの香気を強く放つものとなっている。

スザーンの狂気を描く一方で、過剰な報道を行うマスメディアへの風刺も

両親からの寵愛を受けて何不自由なく育ち、誰からも愛されて大人になった娘スザーン(キッドマン)。彼女は常に周りからチヤホヤされ、いっそうの注目を浴びたいと、報道キャスターとしてテレビの世界に身を置こうと目論む。だが知性に欠ける彼女は、恵まれた美貌と遠慮のない行動力だけを武器に立ち回り、地元ケーブル局の気象キャスターを起点に、徐々に自分の欲する道を開拓していく。

しかし、スザーンは惰性で結婚した夫ラリー(マット・ディロン)から、子どもを産み家族を作ろうと持ちかけられる。その瞬間、彼女はラリーを「自分の野心を阻む存在」と見なし、夫への愛情は次第に殺意へと醜く形を変えていく…。

夫から子どもを作ろうと言われたことがきっかけで、彼への殺意が芽生えるスザーン

この作品がパメラの事件と異なるのは、スザーンの職業が高校のメディアコーディネーターではなく、テレビの報道キャスターへと変えられている点だ。彼女は自ら企画したドキュメンタリーの撮影で、接点を得た高校生ジミー(ホアキン・フェニックス)をたぶらかし、彼を夫殺しの刺客へと変えていく。その恐ろしい計画の動機として、スザーンの業界での成功に対する強迫観念が与えられているのだ。

こうしたアレンジによって、物語は過剰に人心を惑わすメディアへの風刺が前面に出たものとなっている。映画もそんな原作の意気を継受し、よりダイレクトに示すために、監督は劇中の展開を常にカメラが捉えたフッテージ映像の体で演出している。テレビ中継、録画インタビュー、突撃取材、そして隠し撮りetc。

それというのも、パメラ事件の裁判は、法廷にテレビカメラが持ち込まれることを許可されたケースの一つで、それを起因とする過剰報道が連日マスコミを賑わし、湾岸戦争の情報をも食いかねない勢いだったからだ。こうしたメディアの毒性をさらに誇張することで、本作を殺人ミステリーという一面性にとどまらせず、より立体的なものにしている。

スザーンの犯行を追いかけるとともにマスメディアの毒性もあぶり出す

ニコール・キッドマンのその後の成功を裏付ける作品に

なによりも、「テレビに映っていなければ、誰も自分になど注目しない」というスザーンの貪欲なまでの自己顕示欲は、SNSを中心とするパーソナルメディアの時代においても通じるものがある。

そうした要素に恐ろしいまでの説得力を与えているのは、キッドマンの並はずれた主張性を放つパフォーマンスだろう。人間的な緩さを見せながらも、そのじつ狡猾な希代の悪女スザーンを揚々と演じ、ターゲットにされたジミーの堕落が不可抗力なものにも思えてくる。

当時キッドマンはオーストラリアからアメリカ映画界への進出を果たし、フィアンセだったトム・クルーズの力添えでいくつかの注目すべき出演作に恵まれたものの、作品に華を添える以上の役割を果たしているとは言い難いものがあった。しかし本作が主演女優の降板でペンディングしていると知り、脚本を読んで自ら監督に売り込みをかけ、出演に至ったという。

そしてスザーンの極端な二面性を巧みに演じ、美貌だけにとどまらない存在感を示した。さすがに作品の性質上、キッドマンと役柄とを同一視するわけにはいかないが、それでも劇中のスザーンに匹敵するような野心で目的を果たすその姿勢は、まさしく映画を体現しているといえるだろう。キッドマンにとって本作が、その後の豊かな俳優キャリアを築く礎となったのは周知のごとくだ。

スザーンの極端な二面性を見事に演じ切ったニコール・キッドマン

ちなみに小説と映画の原題「To Die For」とは、「~のためならば死んでもいい」という表現のフレーズ。自分の夢を叶えるために死をもいとわぬスザーンと、彼女の要求ならば死を賭して犯罪をおかすジミー、そして殺人をも誘発してしまうメディアの甘美な中毒性に加え、作品の結末を婉曲に示す多義的なタイトルである。『誘う女』という邦題はそれに比べるとかなり直球だが、「誘惑」をよりミステリアスに換言し、サスペンスムービーとしての風趣が感じられるものとなっている。

文=尾崎一男

尾崎一男●1967年生まれ。映画評論家、ライター。「フィギュア王」「チャンピオン RED」「キネマ旬報」「映画秘宝」「熱風」「映画.com」「ザ・シネマ」「シネモア」「クランクイン!」などに数多くの解説や論考を寄稿。映画史、技術系に強いリドリー・スコット第一主義者。「ドリー・尾崎」の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、配信プログラムやトークイベントにも出演。

<放送情報>
誘う女 [PG12相当]
放送日時:2022年10月13日(木)21:00~、25日(火)21:00~
チャンネル:ザ・シネマ

※放送スケジュールは変更になる場合があります

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